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石巻追想(11) やること・やらないこと

被災地ボランティアは、業者ではありません。依頼者は「お客さん」では無いのです。

きわめて当たり前のことなのですが、自分のような慣れない人間は、つい忘れてサービス精神が出てしまったりします。

一度、農家の方からの依頼で出かけたことがありました。田んぼを再開したいのに、大量のゴミが入り込んでしまい、どうしようもないというものです。午前中に一気に片付けてしまおうと、40人ほど動員して出かけたのですが…

現実に出向いてみると、確かにゴミは散乱していますが細かなものばかりで、数日時間をかければ誰でも拾える量です。とりあえず全員で作業しましたが、小一時間で終了しました。

当初の依頼では通りを挟んだ他の田も頼まれていたようです。リーダーと、依頼主(若い女性)の会話が聞こえてきます。

「あちらの様子も目で確認させてもらって判断したのですが、向こうは作業しません。」

『えー?!やっていってよ…』

「我々は、現地の人が自分たちで出来ないことを協力するために来てるんですよ。あそこは、こちらの皆さんで出来ると判断させていただきました。」

『でも、大勢でやってもらえば簡単じゃない。』

「他にもね、どうしようもなく困っている人が大勢いるんですよ。お姉さんも知ってるはずじゃないですか。あれは時間をかければ充分できるでしょう。」

『だって、私たち他にもやることあるし…』

最後まで聞きませんでしたが、こんなやりとりが更に5分くらい続いたようです。結局、田んぼにはもう入りませんでしたが、代わりに(?)こちらの家の壊れた納屋から瓦礫を道路に出す作業を、更に20分ほどやることになりました。

田んぼにゴミが散らばっているということは、海水を被ったということです。塩が入り、現実には数年は再開できない場所だそうです。瓦礫運びも、散乱している場所は農家の大きな敷地の隅。狭い路地のお宅で家の前にゴミが山積みになっているような方に比べれば、優先順位は遥かに下でした。

午前中もまだ時間があったので、急遽他の作業場所を探すことに。しかし40名で作業する場所が近くにあるわけではなく、いくつかの小グループにわかれたものの、移動に手間取ったり作業場所が見つからなかったり、手順が狂ってトラックとの連携が上手くいかなかったりと、なかなか成果の出ない半日になってしまいました。

昼休み後、リーダーが全員の前で謝罪する一幕も。後で話をすると、彼はこんなことを言っていました。

「今日は土曜日。週末を使って来て、フルに作業できるのは今日だけって人もいるんですよ。交通費をかけて、自分の休みを犠牲にして。そうした人の時間を無為に過ごさせたと思うと、申し訳なくて。」

他にも聞いた話では、たとえば「食器棚が水に浸かったので、皿洗いをしていって欲しい」とか、ちょっと「違うだろう」と思うような要望も結構あがってくるようです。

もちろん、依頼された当人たちにとっては「自分でやるのは大変な、手伝って欲しい作業」なのだと思います。しかし、少しずつ状況が良くなってくるにつれて、全体観の中での優先順位を全く見ようとせず、自分のことばかりになってしまっている人も出てきています。これはもう、ある程度の人間がいれば、中には必ずそういう人もいる…というレベルの話ですが。

別のリーダーが、やはり瓦礫撤去の作業終盤で「よし、この辺にしようか。後の細かいゴミは、依頼してきたオッチャン達で充分片付けられるでしょ。地元の人がやる作業も、残しておいてあげるようにしないとね。」と言っているのも耳にしました。『残しておいて「あげる」』んですね。

自分などは、グチャグチャの状態から9割片付けたら、つい最後まで綺麗にしてしまいたくなります。その方が、やりきった感で自分が気持ちいいですから。でも、その気持ちよさと最後の苦労は、現地の人の手に残しておくべきなんですね。

この辺の匙加減は、団体や人によっても異なる部分なのかもしれません。しばらく一緒に活動して、自分はこの団体の判断基準がしっくり来るようになりました。

最優先は、現地の方が自分たちの手で復興をする「お手伝い」というスタンスを崩さないこと。

次に、ボランティアへ来た人に、そのお手伝いを極力密度濃く、しかし安全に尽力させてあげられるようオーガナイズすること。

「リーダー」と呼んでいますが、彼らも滞在期間が長いだけの同じボランティアです。こうしたことを考えながら毎日率先して重労働する姿には、本当に頭がさがりました。

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石巻追想(10) 母の日

書いたように、毎日の作業後に全体でミーティングがあります。

難しい状況の共有や、効率的な作業方法など、様々なことが話し合われます。

そんな中、ある夜に、こう言ってくれる人がいました。

『みなさん、今日は母の日です。ここでこうしていることは、もう大人の皆さんの決断だと思いますが、お母さんは心配されていると思います。こんな時だからこそ、感謝の言葉と無事を知らせるメールなり、電話なり、しましょうね。』

実は自分の母親は今日(5月14日)が誕生日でして、例年、母の日と近いので一緒にしてしまっています。考えてみれば「おめでとう」ばかりで「ありがとう」と言った記憶が無いなと。それどころか大人になってからは、むしろ照れくさくて、ケーキなどを黙って渡すだけになっていました。

その夜、母親にメールを。文面はまぁ、別に書きませんがサラッとシンプルに。

こうやって、目の前の人のことだけじゃなく、更にその向こうの人まで気遣える人ってカッコイイなと。そんなことを思いながら。

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石巻追想(9) 写真

この一連の記事を見た人から、オフラインでも様子を訊かれるシーンが増えてきました。

そこで大抵言われるのが「写真見せて」。予め言っておきますが、自分は写真は1枚しか撮ってません。

元々、最初にも書いたように誰かに話すつもりは無かったことですし。本職のカメラマンならとにかく、ボランティアに来ている人間が崩壊した街を写して歩く姿に、個人的にはちょっと抵抗が。

もちろん「伝えなきゃ」という使命感で撮影している人を非難するつもりは無いですが、とにかく自分からは何も出ませんので、悪しからず。

ちなみに、唯一撮った写真は、こちら。

キャンプ地に雨と風が吹き荒れ、テント崩壊寸前で眠るのも怖かった夜が明けると、見たことも無いほど大きな虹が見えたので、思わず。

しかし地元の人は、綺麗な虹が出るのは地震の予兆…なんて話もあるようで。幸いこの日は何事も無く、穏やかな一日でした。

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石巻追想(8) 苛立ち

ボランティアというと、地元の人も大感謝してくれて、身体は辛くても精神的には気持ちよくなれるもの…と期待して来る人が、特に学生さんなどには多いようです。

もちろん「ありがとう」「ご苦労様です」と笑顔を向けてくれる人が圧倒的に多いですが、そうではない人たちも大勢います。

自分などは、参加させてもらった団体が地道に信頼関係を築いてくれていたおかげで、そうした苦労をあまり目にしていないと思いますが、彼らも来た当初は「物見遊山の冷やかしじゃないのか」「火事場泥棒でもするつもりだろ」「結局、来ただけの自己満足で何も出来ずに帰るだけ」というような反応を、よく受けたと聞きます。

今回、長い被災生活の不安やストレスから、苛立った住民の方が激怒するシーンを見ることになってしまいました。

ある細い路地でのゴミ出し作業をしていた時。大量の瓦礫とヘドロから少し離れたところに、携帯電話が落ちていたそうです。電源が入っていたので、これは「ゴミではなく落し物じゃないか」と判断して、その作業班のリーダーをしていたYさんは捨てずに保管しておくことにしました。

その日も夕方に作業を追え、Yさんは他の作業場を回ったりしているうちに、うっかりその携帯電話のことを失念してしまい、そのままキャンプ地に戻ってしまいました。

夜のミーティング中、その携帯の持ち主が電波の発生源から場所を特定して、キャンプ地までやって来ました。Yさんは「あっ!」と叫ぶと、「すみません、僕が預かってました。車の中です。」と走っていきます。みんな「良かったね」という空気が流れました。

しかし、なかなか彼らは駐車場から戻ってきません。やがて、険悪な怒鳴り声が響き渡ってきました。

携帯を拾った場所からキャンプ地まで、車で1時間と少し。警察にも届けず、そんな場所に運び去られたことで、落とし主は「盗まれた」と断じていたようです。

『この泥棒野郎!』『何がボランティアだ、テメェらなんかが来たって、何も変わんねぇんだ!』『ガソリン使って、こんなところまで来させやがって!』と、凄い剣幕で怒鳴り散らす声が、胸に刺さりました。

Yさんはひたすら謝っていたのですが、相手が全くおさまらず暴力にもなりそうだったので、結局他のリーダーが彼らの目の前で110番通報。事情を説明して「間に入ってください」とお願いすることに。

警察を呼んだと知ると、落とし主は「めんどくせぇ」と言って引き上げはじめました。同行者が他に2人ほど居たのですが、彼らは最初から興奮する1人をなだめようとしてくれていたようで、去り際にも『すみませんでしたね、あの、今後ともまた、よろしくお願いします。』と声をかけてくれました。

翌朝、少し心配していましたが、Yさんは普段と全く変わらずに作業に出かけて、誰よりも率先して働いていました。そしてこの日は、ちょっと嬉しいことになるのですが、それはまた後日。

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石巻追想(7) 財産を分かち合う相手を

『夫婦で、財産は半分半分にしておくんだったな。』

作業へ向かう前のちょっとした時間に立ち話をした、地元のおじさん。目の前で奥さんが流されてしまったそうです。

未だ扱いは「行方不明者」ですが、状況的に現実は受け入れているとのこと。

奥さんは10歳も下で、元気な人だったそうです。一方でおじさんは糖尿に不整脈もあって『絶対、自分の方が先に死ねると思ってた。』ものの、独り残されてしまったと淡々と話してくれました。

問題なのは、預金口座など財産を奥さん名義にしていたことで。本人でなければ、配偶者であっても10万円までしかおろせない(ちょっとこの辺、はっきりはお話を聞いていても分かりませんでしたが)んだとか。

仕事も失い、貯えも引き出せない。あれほど集まった義捐金も、未だ1円も配られない。少しずつ周辺のお店なども再開しはじめると配給なども打ち切られるけれど、食料を買うお金も無い。

『なーんでなんだべな。』

そう言って涙をにじませるおじさんの横で、「なんでなんでしょうね」としか言えない自分でした。

『兄ちゃん、結婚は?』

もう「兄ちゃん」と呼ばれる年では無いんですが。「まだですよ」と答えると、おじさんは軽く舌打ち。多分「財産の名義は半々にしておけよ」と続けたかったのでしょう。代わりに、こう言って笑いました。

『んじゃ、せっかくの機会だ。石巻で佳い子みっけて、連れて帰れ。』

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石巻追想(6) 助け合い

とあるお宅の前に山積みになった、ゴミの撤去を頼まれました。ゴミの山の奥には、まっぷたつに折れた電信柱。これを立て直さないと電気も電話も通じないものの、作業車が入れず修理できないとのこと。

4tトラック3台分のゴミを撤去して、ようやく電柱へのルートを確保。あとは業者さんにお任せ。

作業途中、家主のおっちゃんが差し入れをくれました。2歳のお孫さんの手を引いた優しそうな笑顔ですが、若い頃は長距離トラックを運転していたという逞しさの見えるゴツゴツとしたガテン系のじーちゃんです。

『悪いね、本当は、避難所にいれば、こんなことお願いしないでいいんだけども。』

そう言って頭をかきながら、小さな子供を連れていると避難所生活は難しいのだということを話してくれました。やはり深夜や早朝にグズったりすると、他の被災者から責められたりするのだとか。

『普通の時だったら、ちっと表さ出ろっちて黙っちゃいないんだども、こんな時に何も困っとるモン同士で喧嘩することも無いから、家族で出てきて暮らしてるんだ。』

このゴミの山を片付ければ電気、電話が通るだけでなく、幼い子供たちも通る道が余震で崩れたりといった危険も減るとのことで、本当に喜んでくれました。

作業を終えて撤収準備をしていると、ちょうど一家で出かけるところ。なんでも駅前で京懐石のお店が炊き出しをやっているとかで、みんなでもらいに行くのだとか。乗り込む車は、なぜか「新潟」ナンバー。

訊いてみると、新潟の友人が乗って届けに来てくれたそうです。その人とは、新潟県中越地震の際におっちゃんがトラックで何度も物資を届けた時に仲良くなったらしく。すごくシンプルで自然に「助け合い」をしている人たちを目の当たりにして、ちょっと感動。

『全国、あちこちに友達がいっから。』

闊達に笑いながら車に乗り込むと、おっちゃんは

『大阪の友達が、何かいらねーかーって訊くから、たこ焼きとお好み焼きって言ったらよ、それも届けてくれたよ。』

と言い残して炊き出しをもらいに走っていきました。

おっちゃん、冗談なんだろうけど、よくわからなかったよ。早く電話が繋がって、あちこちの友達と連絡とりやすくなるといいね。

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石巻追想(5) 思ひ出

ゴミの山を片付けていると、色々なものが出てきます。家具や家電、洋服、食器などはモチロン、中にはトロフィや盾、写真アルバム、ビデオテープ、自筆の詩集なんかも出てきます。いずれもきっと思い出があって、捨てるのは辛かっただろうと思うような品も。

ミーティングで、帯同している写真家の方が「泥水を被った写真も、今の技術なら結構な確率で復元できるから、その旨を住民の方に伝えてあげて欲しい」と言われました。

確かに、特にお年寄りは「もうダメだろう」という判断で捨ててしまう方も多いでしょうし、そもそも仕分けできずにゴミの山に紛れてしまっている場合もあるはず。以降はなるべく見つけたら横へ除けておくようにしていました。

ある日。同じ班だった女の子が、おばあちゃんにアルバムを見せてその旨を伝えたところ。話しながら泣き出してしまい、『やっぱり処分して下さい』と返されたとか。

実際のところ、どういう涙だったのかは、分かりません。その子は「傷口をほじくっちゃったのかも」と気にしていました。

震災から2ヶ月、表面上は明るく話しかけてくれる被災地の方々が、ふとした弾みでボロボロと泣き出すのを何度か見ました。今は、すごく薄く脆い壁で、悲しみをようやく塗りこめている状態なのだと思います。

本当に心の平穏に向かって消化していける日が、早く来ますように。

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石巻追想(4) タタミ

瓦礫やヘドロ、大小ゴミ撤去も大変な作業でしたが、筋力的に一番キツかったのは、文句無く「タタミ撤去」の日でした。

都心では減ってきている和室ですが、一戸建てが並ぶ渡波では当然ながら畳の部屋が多くあったのだと思います。それが水没して使い物にならなくなり、戸外に積み重ねてあります。雨露に晒されて腐ればキノコも生えるし、臭いもする。これを優先的に撤去する班もありました。

街を歩いて畳をみつけては、4トントラックにひたすら積み込む作業。概ね、1台で100枚強を載せることができます。6人1班で、1日に大体トラック5~6往復していました。

これから梅雨の季節になり、雨に濡れると畳は重く、腐りやすくなっていきます。フニャフニャになった畳は持ちにくく、トラックにも積みにくい。自分が行った当初は、これが最優先のミッションでした。

似たような作業の繰り返しなので、少し慣れれば効率はドンドン良くなっていきます。そうすると、筋肉を休ませる時間が無くなっていくワケで。

真っ先に来るのは握力。自分の場合は腕力や体力が尽きる前に握力が完全に失われて、ラスト1時間くらいは腕を差し出して、そこに畳の端を乗せてもらったら運ぶだけのカタカナの「ト」になりさがってしまい、情けないハメに。作業後、差し入れにいただいた缶のプルトップを引く力も残っておらず、スプーンでテコの原理を使って開ける有様でしたとさ。とほ。

畳にも幾つか種類があって、新しそうな家の前にあるものは、青みが強くて軽いものが多かったようです。どうも、プラスチック系の素材が含まれているんじゃないかと。おかげで積むのは楽でしたが、集積所で土に返すしかないこの状況では、そうした素材を含んだものは、ちょっと面倒なことに。色々難しいですね。

途中からはチーム別に回収枚数を競いだしたりして、結局、自分がいた団体だけで1週間ほどで2万枚近く処理したとか。畳はパッと見にゴミの山に比べて散らかっている感が無いので気付きにくいのですが、他の地区に比べて渡波の畳が圧倒的に少なくなったのを、みんな密かに自慢にしていました。

2万畳、広げたら、どのくらいなんでしょうかね。見てみたいです。チラっと。

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石巻追想(3) 1日の流れ

団体によって担当する地域が決まっているようで、自分が行ったのは渡波(わたのは)地区という海沿いの町でした。

しかし宿泊は、そこから車で1時間以上離れた内陸部に、各自で持参してきたテントを張って行っています。これは恐らく、余震とそれによる再びの津波被害を避ける意味や、物資や人員が比較的アクセスしやすい生きている鉄道路線付近を選んだのだと想像しますが、実際はよくわかりません。

ともあれ、まだまだ冷え込みも激しく、強風や雨にも晒されながら、朝5時頃にテントで目覚めるところから1日が始まります。

6時から朝食。大釜で炊かれたご飯に味噌汁と、お惣菜が少し。当然豪華なものはありませんが、ボランティアの「生活班」が更に早く起きて用意してくれた温かい食事は、とても贅沢なものに感じます。

更に持参の弁当箱に昼食を詰めて、7時頃にキャンプ地を出発します。活動は多岐にわたっていて、瓦礫撤去やヘドロ出しなどが一番多いですが、他にも被災家庭をまわって家具の運び出しなどを行う班、避難所で散髪やマッサージを行う班、臨時に設置したお風呂を運営する班、炊き出し班、孤立した村落を捜索・巡回する班などがありました。

キャンプ地へ戻ってくるのは、おおよそ18時頃。自分はほぼ瓦礫やゴミの撤去班でしたが、日ごろの運動不足もたたって、この時間にはボロボロのドロドロです。生活班が用意してくれていた夕食を済ませるころには日も暮れて真っ暗ですが、それから1日の活動を振り返る全体ミーティング。20時半頃に解散となります。

キャンプ地の隣には温泉施設があり、22時までは400円(土日祭日は500円)で入浴できます。これがまぁ、至福の時間で。この1点でも、ここをキャンプ地に選んでくれたボランティア団体に感謝する毎日でした。

3日目くらいで身体が慣れてくると、焚き火を囲んで24時頃まで話しながらビールを飲むような余裕も出てきましたが、それまでは風呂あがりに早々に寝袋に潜り込んでいました。しかし、寒かったり風が怖かったり昼間の興奮が残っていたりで、なかなか寝付けないんですね。

甘く見ないで、装備は色々と必要です。その辺は、また後日。

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石巻追想(2) 自衛隊員さん

ボランティア参加者に、現役自衛隊員の方がいました。もちろん任務ではなく、休暇を利用しての参加で。

彼は、自衛隊員として派遣されるグループに入れなかったそうで。

隊の内部でアンケートのようなものがとられ、そこで被災地へ「(1)行きたくない (2)行きたい (3)熱望する」と選んで提出するそうです。彼は「熱望する」に丸をつけたものの、選から漏れたとのこと。

自分が参加させてもらったNPO団体では、長期に活動している人がリーダーシップをとっています。長い人は1ヶ月にわたって滞在しており、被災地の状況をよくわかっていますが、瓦礫撤去などの現場作業について専門性があるわけではありません。ですが彼は自衛官だからと出しゃばるようなことも無く、作業指示に従って黙々と働いていました。もちろん求められたり気がつくことがあれば控えめにアドバイスもする、とても気持ちの良い人でした。

『こうした時に誰かの助けになりたくて、自衛隊に入ったんだから。』

何の気負いも感じさせずにそう言って笑った顔を見て、自分が女の子だったらイチコロだったろうと思いましたよ。ええ。