最近twitterでのデマに関しての論議考察がなされてるけど、皆さんもっと原則に立ち戻って「twitterは情報重視メディアではなく個人の単なる、そしてしかもたった140文字の呟きに過ぎない」って原則論に立ち戻った方が良い。私はtwitterは個人の思考傾向と共感のため有ると思う

なるほど。これは結構重要な提言だなって思う。

日本ではTwitterがようやく流行りだした頃に盛んに言われた「既存の報道媒体よりも圧倒的に速い!そして誰でも報道が出来る!だからTwitterは素晴らしい!」という論調に影響されてる部分が大きいのかも。

Twitterを第一次情報発信交換機能として捉えても構わないけれど、それは拡散していくうちに必ず第二次情報を生んでいく。「新聞」「雑誌」「ニュース」「ワイドショー」など、我々はメディアを色分けする際に、第一次情報/第二次情報の区別、あるいはその精度やオピニオンの程度を、ほぼ一対一で結び付けていると思う。Twitterは、この図式が崩れて両者が混在するメディアになってしまったために、慣れない情報の受け取り手が混乱しているのでは。

例えれば、真面目なアナウンサーと芸能レポーターと無責任なコメンテーターと専門家が全員横一列に並んで、好き勝手なことをしゃべってる番組。これに視聴者は何を期待して、何と名前をつけるかと。

自分は現在のところ、Twitterは完全に第二次情報の集合体だと割り切っています。だから第一次情報共有ツールとしての期待をかけた多くの「Twitter論」には、いまひとつピンと来ない。

先日、友人の編集者から「震災時におけるTwitter活用術」的な情報交換を求められた時にイマイチ盛り上がらなかったのも、この辺が原因かも。