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キャッチボールに励む少年を見て思う、企業の目標設定。

企業の目標設定は、事業戦略からKPI策定、目標数値へと順に落としていくという手順に異を唱える人は多くない。だけど、実際に現場で行われていることは結構「昨年これくらいだったから、今年はこれくらいいけるはず。後は頑張れ」で決まっていることが多い気がする。何かこの現象に、名前をつけてみたいなと思った。

たとえば才能ある野球少年は、毎年自分の球が速くなっていくのが楽しいだろう。小学生で80km/h出せたから、中学卒業までには100km超などと目標を立てるのは、きっと正しい。企業も成長期にあっては、それでもいいのかもしれない。

でも、高校生で150km出せた逸材がプロ入りして、「よーし3年後には200km」と言い出せば、余程のアホか超大物のどちらかだ。そこでは制球や球種、フォームや配球など、努力の方向は変わってくる。それは結局、目標が「勝つこと」に集約されるから。1kmでも速い球を投げれば相手に勝てるなら、皆その方向で努力するだろう。でも、そんな単純な話じゃない。球速をあげるための努力よりも効果的・現実的に勝ちに近づく努力が、必ず存在する。

そんな誰でも分かる話が、企業に当てはまるとなぜか永久に「200km投手」を目指し続けている場合がある。PDCAだの何のと言っても、結局は「何故今年は200km出なかったか」がイシューになっているから意味が無い。冷静に問題分析をしているようで、内容は「なぜ、小学生の頃みたいにグングン成長できないのか」。議論すべきは、そこではないだろうにと。そこで思い余れば、ドーピングなどはじめる輩も出てきてしまう。

というワケで、こうした急成長期の感覚が忘れられない単純昨対比成長目標設定型企業を「野球少年症候群」とでも呼んでみようかと思ったけど、「野球少年なら、そんな馬鹿はいない」という話だったのでボツ。何か良いのないかな。

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"An entrepreneur who is truly on fire and excited about their company will view an MBA as a distraction and loss of focus. That is not to say that an MBA is not useful. Maybe I’ll do an MBA at some point in my life, however if I do an MBA it would mean that I’m doing it because I haven’t found the next big thing to work on. That isn’t a bad thing either. Ideas and enthusiasm comes in waves and between waves, why not study if you can afford to. It would also mean that I haven’t learn to code yet, because I would rather learn to code (at this stage of my life) before getting an MBA.
Regardless of how you look at it, you’ll always learn more at the coalface of a business than in the classroom and you’ll be more valuable to a startup if you can develop than if you have an MBA."

Lind Ventures | MBA or Learn to code?

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データ救出作戦

えー。BuffaloのNASが壊れまして。中には(弟夫婦の)思い出のデータが。3日がかりで救出できたんですが、メモがてら流れを。

まず、メーカーに問い合わせたら「修理は出来るけど、データは全部消える」との回答。話にならん。なんのためのRAID?むしろ修理できなくていいから、データだけ欲しいのに。

で、次はデータ復元会社に見積依頼。お金に変えられない思い出につけこんでボッたくるって話は聞いてたけど…出てきた見積は25万円。ふざけんな。

壊れた箇所はファンor電源周りで、HDDそのものは無事だってなんとなく分かってたから、自前でレスキュー開始。基本方針として、(1)ファンを換装する (2)ディスク外してデータだけ吸い上げる の2択で少し悩む。手っ取り早いのは(1)だけど、直らない可能性も。もうHW的には捨てるつもりなので(2)で行くことに。

完全にバラして、中身のディスクだけ摘出。もうメーカー保証はききません。で、昔ノートのデータ救出に使ったGroovyのHDD-USB変換器でPCと接続。しかし、FSが異なるためアクセスできず。ここまでは想定内。とりあえずディスク回ったことで一歩前進。

次にKNOPPIXをDL。これが5時間くらいかかった。で、DVDに焼いて、ディスクブート。ところが起動せず。メディアが壊れてるフシのメッセージだけど、いまいち信用できず。ブートオプションでknoppix checkcdをかけてみるも、アッという間に通過。絶対やってないと思う。いぶかしみつつも、もう一度isoイメージを焼き直し。

かなり疑いながら焼き直したところ、今度はブートがかかる。ホントに焼くのに失敗してたのか。ところが、今度はGUI起動場面で砂嵐状態に。ブートオプションでリゾリューションとか周波数いじってみるも、変化ナシ。ディスプレイ変えたりCPUスイッチャー通さず直付けしてもダメ。グラボと相性が悪いと判断するしかなさそう。

仕方ないので、捨てそびれてた古い端末引っ張り出して、こちらでブート。遂に無事起動!で、コイツをネットワークに参加させてsambaでWindowsのファイルシステム参加…と思ったけど、USBで外部ディスク繋がるならと救出ディスクとマトモなディスクを2本差し。オンザフライで一気にコピー完了!

…というワケで、なんだかんだと足掛け3日がかりの救出作業完了です。25万円払わなくて良かった。

しかし、最初の問い合わせでメーカーがディスク摘出してディスク破損確認するところまでやってくれれば、簡単にサクッと直ったと思うんだけど。データ救出業者を紹介されるあたり、結託してる気がするのは疑い過ぎでしょうかね。

結論。とにかくバックアップを分散してとる。結局、これしかないですかね。

疲れた。

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「トライ・アンド・エラー」ではなく「トライアル・アンド・エラー」

昨日、久しぶりに思い出しました。以前、何度も言われた言葉。

「”Try and Error” という言葉は原則的には存在しない。実際は “Trial and Error” なんだ。Trialとは、つまりは試み。単なるTryと違って、Trialでは失敗することにも意味がなくちゃいけない。」

もう10年以上前になりますが、かつての上司から何度か聞かされたことです。

計画を練りすぎて計画倒れたり、マーケティングに慎重になりすぎて臆病になったり、「動けない病」になるのは最悪。そこからの反動で「トライ・アンド・エラーで行こう!」という発想が出るのは健全だと思うのですが、反動であるが故に今度は計画を杜撰にしすぎる場合が(当時の自分は、それでした)。

「当たって砕けろ」じゃ、ダメ。「試行錯誤」じゃないと。

何度も失敗すればいい。だけど、失敗が成功ににじり寄る糧にならないと。

そんな教えを懐かしく思い出したのですが、最近の特にWebサービスなんかは、全くの “Try and Error” でも実は良いのかもしれませんね。構築コストも撤収コストも大してかからない、絶対に届かせたい成功ポイントが存在するので無いような場合は。

でも、自分の心のなかでは常にやっぱり「これは、たとえ失敗しても意味がある。次に繋がる。」と思えるかどうかで、成功確率の低いプロジェクトにもGOサインを出すなと。

とはいえ、実際通常は「トライ・アンド・エラー」って言っちゃいますよ。「トライアル・アンド」って言い難くて噛んじゃうし。あくまでマインドの問題です ;)

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逆境指数

今日は、映画から学ぶリーダーシップなるセミナーに。

お題となった映画は3本。オーシャンズ・イレブン、ショーシャンクの空に、インビクタス。後ろの2本は観たことあって、ショーシャンクは一番好きな映画のひとつ。

正直興味があったのは、個人的にイマイチだったインビクタスを、どう取り上げるのかということ。基本的にネルソン・マンデラの寛容の精神についてはよく描かれていたものの、フランソワ・ピナールがどうリーダーシップを発揮してチームをまとめたかについては、ほとんど描かれていない映画でした。そこに対して、どう寓意を抽出するのかと楽しみにしていたのですが… ま、そこはいいとして。

紹介された「逆境指数」なる考え方が、面白かったなと。

これは別に島本和彦が考案したものではなく、ハーバードビジネススクールのポール・ストルツ博士が考案した「逆境に対する人、組織の反応を対応力の高さで指標化したもの」だということです。

分類は、次の通り。

Lv1: Escape - 逆境に対して逃避する。
Lv2: Survive - なんとか生き残ろうと、アタマを低くして耐える。
Lv3: Cope - 単に対処する。
Lv4: Manage - 逆境を管理・解決しようとする。
Lv5: Harness - 逆境を栄養源に、自己の成長を促す。

ま、やっぱり島本式ですね。すごい人は逆境に直面すると喜ぶなんて話も出ましたが、やっぱりちょっと嘘っぽい。苦境に直面して、覚悟を決めて立ち向かい、気がつけば成長しているというのが実際じゃないでしょうか。とはいえ、「修羅場には首突っ込んでおいた方がいいよ」と先日も言われたように、誰かが立ち向かわなければならないものなら、進んで飛び込むって選択はアリだと思いますが。

で、調べてみると、そもそも逆境への対処方法として「脱落」「キャンパー」「登山家」に分類されるそうで。突っ込んで読んでないのですが、おそらく脱落はLv1、キャンパーはLv2なんじゃないかと。で、残りが登山家ということは、やっぱりLv3からLv5にジリジリ登っていくのがシックリ来ます。

と、振り返りっぽいことをしてみましたが。逆境といえば、今の震災ですよね。被災地の方々はモチロン、 これに関連して各所に様々な逆境が生まれていると思います。政治家さんはLv1から最大で2.5くらいだなぁ、とか愚痴っぽい論評をしても何にもならないですが、今こそ「これが逆境だ!」と不敵に笑って先頭に立って見せる、Lv5な人が現れればたちまち人心掌握できるんじゃないかなと。

終戦後、きっとそんな人が大勢いたんじゃないかと思います。自分も逆境指数をあげて、よじ登っていく感覚にしなければと思いながら。あれ、これってリーダーシップかな?セルフ・リーダーシップってことで、いいか。

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時間の現在価値

今日、「ホームで待つのがイヤだから自転車で移動するし、エレベータ待つのがイヤだから階段昇ることが多い」って話をした。

「せっかちなんですね。」

そうだと思う。

「じゃ、今日イラっとしました?」

実は待ち合わせがちょっとだけ上手くいかない部分があった。誰が悪いというワケではなく、そもそも待ち合わせ場所も明確に決めずに集まったので自業自得なんだけど。

「そんなことないよ。」

実際、そんなことない。なんでだろう?考えたこと無かったけど、ちょっと沈思してみる。

ファイナンスの世界では、「貨幣の現在価値」という考え方がある。今日の100円と明日の100円は、同じ価値ではないということだ。そこには時間経過のリスクがある。リスクは貸す相手によって、設定が異なる。毎日会う同僚に100円貸すのは、明日になってもほぼ100円。割引率はすごく低い。しかし駅でケバい姐ちゃんに電車賃100円貸してと言われれば、もうゼロみたいなものだ。割引率はものすごく高い。

同様に、時間そのものにも現在価値って考え方があるんじゃないかって気がする。ホームで5分電車を待つということは、JRに5分投資するってことだ。後でシッカリ利息がつく前提で。

多分、なんとなくそういうことが言いたくて、「だって、電車やエレベータはちゃんと来ないかもしれないじゃん」と言ってみた。「いやいや、電車はちゃんと来るでしょ。」と笑われた。彼にとっては、JRへの割引率はすごく低いのだろう。

自分も、電車と自転車で到着時間に1時間とか差があれば、基本的には電車を選ぶ。20分差なら、自転車だ。「遅れるリスク」とか真剣に考えているワケではないが、確実に目的地に近づいている感覚の方が安心感がある。時間の投資に対して、自分は無意識にかなり高いリスクを設定しているようだ。

待ち合わせは、投資とは違う。いわば対価であって、それをどう活用するかは自分次第だ。だから腹も立たない。

と、考えてみて、商売柄危険な香りに気づく。システム屋としては「イニシャルコストがかかっても、ランニングコストの減るシステムを作った方が結局トクですよ」という営業をよくする。これは投資だ。自己否定に繋がってしまう。自分の投資概念で言えば、余程劇的な差がなければ、システムなんて作らないで人力でキッチリ進めた方が気持ちがよい。そうか、あのアタマの固い部長は、こういう感覚だったのかと気づいてしまったり。

と、いうところでメンドウになって思考停止しようかと思うけど、話の筋は通ってるかな?酔ってるし、自信無し。

ま、そういうことなのだよ。

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石巻追想(14) カレーは作りません

炊き出し班のリーダーから、一言。

毎日工夫してメニューを決めているのだと思いますが、どうしても避難所の食事は「カレー」が増えてしまうのだそうです。そうした声を聞いて、少なくとも自分たちはもうカレーは出さないと決めた、と。

なんだかちょっとしたことなのですが、大事なことだなって思いました。

震災から少し経って、被災地の人も「わがまま」になってきている…なんて話も聞きます。中には本当に、そういう人もいるでしょう。しかし、食事とか安眠とか、生理の根っこにあるものへのストレスって、本当にキツいと思います。ちょっとした気付きとか気遣いで、それが低減できるんだなと感じさせられました。

なお、「じゃ、何が食べたい?」と尋ねたところ、多かった回答が「ヤキソバ」だったそうです。それも、ソース味の濃いやつ。若い人ではなくお年寄りからも挙がった要望だったので、驚いたと言っていました。

早速自衛隊に在庫の確認をしたのですが、そうした生麺的なものは無く。思い切ってその日のうちに支援金から発注して、翌日にはヤキソバを届けたそうです。ちょっとした贅沢になってしまったけれど、それくらいは許されますよね。

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石巻追想(13) 集いし人々

キャンプ地には100人前後の人がいました。GW中には限界まで受け入れて200人近い人がいたようですが、平日になると一気に下がりました。それでも100人弱くらいは滞在していました。

何人かの方と「どこから来たの?」と話をしました。やはり東京が最も多かったものの、西の方から来ている人もかなり居たので驚きました。長野、京都、大阪、広島、愛媛など、本当にあちこちから集まっていたようです。

自分が被災者、あるいは実家が被災しているという人もいました。逆に被災地から東京の間に住んでいる人は、全く見かけませんでした。その辺の方達は、自分の住んでいる地域で活動しているのだろうと思います。

外国から来てくれている人も、何人かいました。中でも最も驚いたのは、ノルウェーから独りで来ていた女性です。

彼女は中国系のノルウェー人で、当初は旅行で東京に来ていたようです。そこで被災地ボランティアのビラを受け取り、いてもたってもいられなくなって参加したとか。

日本語は全く話せず、かろうじて英語でお互いにコミュニケーションをとるような状態です。装備もやはり足りず、作業をお願いするのにも少し注意が必要でした。逆に言えば、そうしたことを理由に自分に対して来ないイイワケをすることは、いくらでも出来たと思います。自分なら、きっとそうしています。

バタバタしている間に彼女は帰ってしまい、お別れの挨拶もできませんでしたが。夕方に顔をあわせて「作業はどうだった?」と訊いた時、笑顔で親指を立てて見せた姿が印象的でした。

今はもう、帰国しているでしょうか。いつか彼女が再び日本を訪れ、あの日が夢だったかのように復興した美しい石巻を歩く日が来るといいな、と願います。

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最近twitterでのデマに関しての論議考察がなされてるけど、皆さんもっと原則に立ち戻って「twitterは情報重視メディアではなく個人の単なる、そしてしかもたった140文字の呟きに過ぎない」って原則論に立ち戻った方が良い。私はtwitterは個人の思考傾向と共感のため有ると思う

なるほど。これは結構重要な提言だなって思う。

日本ではTwitterがようやく流行りだした頃に盛んに言われた「既存の報道媒体よりも圧倒的に速い!そして誰でも報道が出来る!だからTwitterは素晴らしい!」という論調に影響されてる部分が大きいのかも。

Twitterを第一次情報発信交換機能として捉えても構わないけれど、それは拡散していくうちに必ず第二次情報を生んでいく。「新聞」「雑誌」「ニュース」「ワイドショー」など、我々はメディアを色分けする際に、第一次情報/第二次情報の区別、あるいはその精度やオピニオンの程度を、ほぼ一対一で結び付けていると思う。Twitterは、この図式が崩れて両者が混在するメディアになってしまったために、慣れない情報の受け取り手が混乱しているのでは。

例えれば、真面目なアナウンサーと芸能レポーターと無責任なコメンテーターと専門家が全員横一列に並んで、好き勝手なことをしゃべってる番組。これに視聴者は何を期待して、何と名前をつけるかと。

自分は現在のところ、Twitterは完全に第二次情報の集合体だと割り切っています。だから第一次情報共有ツールとしての期待をかけた多くの「Twitter論」には、いまひとつピンと来ない。

先日、友人の編集者から「震災時におけるTwitter活用術」的な情報交換を求められた時にイマイチ盛り上がらなかったのも、この辺が原因かも。

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石巻追想(12) おばあちゃんの涙

なんだか、やることを選り分けているような偉そうな話をしてしまいましたが、もちろん基本は、頑張っている人たちの助けに、少しでもなること。

前日にちょっと大変なことがあった後、Yさんは「以前から気になっていた」という路地へ行くことを提案していました。

そこはトラックがギリギリ1台通れる狭い袋小路で、先が少し広い空き地になっています。そこへ周辺3~4件分のゴミが積み上げられており、威圧感と強烈な悪臭を放っていました。

彼はその日、2台のトラックと3班分の人員を効率よく動かして、おそらく4tトラック8杯分くらい(もっとだったかも)になったゴミを1日で片付けてしまいました。

自分はこの日が最終日だったのですが、それまでに見た中でも最も効率よく、みんなが心をひとつにして動いている、うまくいった現場だったように思います。

隣家のおばあちゃんは途中で差し入れをくれましたが、それだけでなく、全体作業の邪魔にならない場所でコツコツと釘の出ている木材を拾い集めたりもしていました。それは「自分も働かないと申し訳ない」というような気持ちよりも「とにかく、少しでもこのゴミを減らしたい」という想いからだったように見えました。

全てが片付いた後、我々も達成感があって、全員で集まって拍手をしました。おばあちゃんや周辺のお家の方たちも、出てきて一緒に拍手をしてくれました。

おばあちゃんは、目に涙を浮かべていました。

家を出入りする時に、怖くて仕方なかったそうです。

余震でこれが崩れたらと思うと、心配で仕方なかったそうです。

Yさんは、すごく晴れやかな顔で笑っていました。おばあちゃんたちと一緒に、最後に記念撮影。疲労困憊の帰り道も、みんな「今日は良い日だったな」と感じていたと思います。身体は痛いし、作業服は臭うし、おなかも空いたけれど。すごく、いい日でした。

こうした充実感が、キツい環境でボランティアを続けられる原動力になっているのだと思います。たとえ自己満足と揶揄されても。達成感と、笑顔が。